M's Selection Section 2

ジェームス・チャンスの前座扱いで登場したデートコース・ペンタゴン・ロイヤル・ガーデン(以下デートコース)の生に接して以来、少し菊地成孔に対する考えが変わった。それまではキザな眼鏡のパクリ野郎と思っていたのだが、それだけカッコよくパクれるなら徹底的にやれって思うようになったのだ。CDはいざ知らず、キーボードしか弾かない他のライヴはどうか知らないが、この日のデートコースは私のハートを熱くした。 そして色々と考えさせられた。

例えば、あの時代のマイルスのサウンドを継承発展させているバンドは世界中にどれくらいいるのだろうかとか、60〜70年代のミュージシャンってマイルスを筆頭にみんなお洒落でカッコよかったなとか、でもそれはジャズが金になる時代だったからだよなとか。
いや待てよ、あの当時だってキタナイTシャツのお洒落とは無縁のジャズがあったではないか。山下洋輔トリオなんか典型的だ。

ジャズミュージシャンには3パターンの人種がいると思う。
1、スーツ、でもセンスの悪い石原裕次郎みたいなスーツを着てスタンダードなんか弾いて、ジャズは女を口説くムード音楽だみたいに勘違いしているヤツ。
2、着るものなんか全然気にしない。音楽の中身がよければ外見なんてどうでもいい求道派タイプ。コルトレーンや山下洋輔トリオの一派だ。
3、そして最近では珍しいのがファッションも音楽もセンスだとする連中だ。マイルスであり菊地雅章であり菊地成孔である。
そうなんだ、久し振りに光輝く眩しいジャズを見せてもらったのだ。 デートコースに。

前置きが長くなった。今回から暫らく日本のジャズを書くことにする。ブルーノートやプレステッジの廉価盤とウツクシイ御姉さまの紙ジャケばかりが氾濫して、本当に再発、CD化しなければならない商品が放置されたままだ。
このままだと新しくジャズファンになった人はジャズのある一面しか知らずに終わるように思えるからだ。
特に日本人の素晴らしい作品の数々が黙殺されている。 (8.10.2005)


73年の鈴木良雄のアルバムの裏カバー。
左から本田、村上、宮田、峰、鈴木。現在60前後のオヤジの20代の写真。
全員長髪。
そして全員お洒落。
音楽もカッコよかった!

 

■ vol 022 Salaam Salaam (2.8.2006)

リーダー名 : 本田竹曠=Honda Takehiro
メンバー :  本田竹曠 p、Juni Booth b 、Eric Gravatt ds

タイトル: Salaam Salaam
録音年月日:  1974年6月16日

収録曲:  1、Minors Only 2、Natural Tranquility 3、Salaam Salaam

REVIEW: ここ1ヶ月ほど毎日のように本田の遺作「ピアノ・リサイタル」を聴いている。
そして、その度に胸が熱くなる。ジャンルを超えての感動作だと思う。
本田の過去の作品も多く聴いた。
「ザ・トリオ」、「浄土」、「ジス・イズ・ホンダ」、ネイテブ・サンの諸作、「バック・オン・マイ・フィンガー」・・・。 4ビートとソウルの間を揺れ動いていた。
本当にやりたかったのはファンキーなものだったんだろうな。そう思う。

実は本田は私が新星堂を辞めるほんの半年前からのお客だった。
客といってもほとんど商品は買わないから客とは呼べないかもしれないが。
たぶん吉祥寺のサムタイムとかストリングスとかに出演する時に、何気なくレコード屋を物色していただけだろう。 勿論、私は彼の顔はライブやレコードジャケットを通じて知っていた。
だから店でCDを眺めていた彼に「本田さんですね。お元気ですか?」と声をかけたのだ。
それから数度、店に来たら声をかけてくれるようになった。
レス・マッキャンとかオルガン系の話が多くて、やっぱり本田さんってソウル好きなんだなと思っていた。
結局、私は2000年一杯で退職してしまい、挨拶もせぬまま。
病を克服して頑張っているな、と思っていただけに残念だ。

さて、前置きが長くなったが、彼のアルバムの中で一番好きな作品がこれだ。
ブルースの上手いピアニストの一人くらいに思っていたそれまでのアルバムから一転、本田は凄いピアニストだったんだと評価を激変させた作品なのだ。
頭からガンガンとピアノの限界に挑むほどの強靭なタッチ。咆哮するコルトレーンを想わせる「マイナーズ・オンリー」。 やがて精神的で美しいバラード「ナチュラル・トランキュリティ」が深い恍惚感へと誘う。
渡辺貞夫が命名した「サラーム・サラーム」。スワヒリ語で「平和、平和」の意味らしい。ダラー・ブランドを意識して書いたと本田の弁。なるほど左手がブランドだ。だが次第に熱を帯びてくる。
ガンガンが来る。本田の体温が上昇する。
やはり一番本田の男らしい熱気が感じられて、好きなアルバム。

 

■ vol 021 Airegin Rhapsody (12.13.2005)

リーダー名 : 明田川荘之=Aketagawa Shoji
メンバー :  明田川荘之p,oka, 吉田哲治tp, 板谷博tb, 池田篤as,ss,
榎本秀一ts,ss, 吉野弘志b, 楠本卓司ds

タイトル: Airegin Rhapsody
録音年月日:  1987年12月30日

収録曲:  1.西都 2.アケタズ・グロテスク 3.餃子ブルース  4.エアジン・ラプソデー 5.今こそ別れ

REVIEW: 本当は国安のアルバムの次にもってくるつもりだった。
これは、その年の11月に突然亡くなる国安を追悼した、アケタの店でのライヴを収録したものですから。
私は何度もアケタ・オーケストラを観ているが残念ながら国安が参加したものは観ていない。
アケタのライナーによると国安はバンド発足からのメンバーで、ほぼセカンド・リーダーと呼んでもいいくらいだったそうだ。て事は、私がこのバンドに着目したのは遅かったって事なのか。

国安の曲「西都」から始まる。 吉野のアルコソロが国安の魂を静めるように歌いだす。
二本のソプラノが悲しげな鶴のように鳴く。徐々に鶴は翼を広げ大空へと舞い上がる。
おそらくは国安が吹いたであろう雄大な情景描写を榎本のテナーが謳いあげる。
続く板谷のトロンボーンも温かい眼差しだ。
これがレコーディング・デビューとなる池田のアルトが素晴らしい「アケタズ・グロテスク」。
こんなタイトルをつけるから、オツに澄ました連中からは白い目で見られるんだよなの「餃子ブルース」。私は浅草っぽくて好き。
しかしなんと言っても、これ以降なんども何度も採り上げられるアケタ最大の名曲「エアジン・ラプソデー」のオリジナルが収録されているのが最大のウリ。
私はこれを聞いてスタジオヴァージョンを作ろうと決意する。
そして1991年10月に新星堂オーマガトキが録音した「わっぺ」に収録される事となる。
郷愁、惜別。

今から40年程前までは、私の住んでいた四国から本州に渡るには宇高連絡船に乗らなければならなかった。連絡線には紙テープがつきもので、船が岸壁を離れる時陸からテープが投げ入れられる。
30メートルくらいでテープは尽きるのだが、そのテープの長さが尽きるまでの数分間はまるで二人を繋ぐ赤い糸、生命線のようにつながっていたものだ。
やがてテープは切れて無数の紙吹雪となる。とてもロマンチックであり哀しくもあった。

私は「エアジン・ラプソデー」を聴くといつも連絡船の紙吹雪を想い出す。




裏ジャケ


髪がたくさんあったころの明田川&愛嬢

 

■ vol 020 The equator (12.07.2005)
リーダー名 : 片山広明=Katayama Hiroaki
メンバー :  片山広明as,ts,bs
タイトル: The equator
録音年月日:  1982年9月13日 府中zelkova hall

収録曲:  A面=北極サイド。春、夏、秋、冬 
B面=南極サイド。春、夏、秋、冬

REVIEW: いきなり片山広明の赤道を採り上げたのでまごついたかな?
片山と森山の接点は皆無と思われるし、板橋と片山が激しくスパークするのはもう少し後のことですから。

実はこれには私も知らなかった深い訳があるのです。
データーをチェックしていて気がついた。前回の国安アルバムが録音された日とそれほど隔たり無い82年に片山のアルバムが録音されている。国安の方は9月としか表記されていないが、おそらく10日と離れていないでしょう。しかも録音場所が同じ府中にあるケヤキホール。こちらはゼルコヴァホールと表記されているが、単にカッコつけただけ。 ひょっとしたら片山と国安はすれ違っていたかも。

私にとって最も愛着のあるアルバム。この年の初め頃、どくとる梅津バンド(この当時はまだこう呼んでいた)のデモテープ制作を手伝って親しくなったDUBの面々。特に片山広明とはジャズの師が同じだった事もあり急接近する。 どうしても彼のリーダー作が作りたかった私はエンジニアの日永田氏と会社の同僚の寺本さんに声をかけ、制作費を出し合って録音することにしたのだ。

全編アルト?、テナー、バリトンによる無伴奏サックスソロ。久し振りに聴いたがやはり強力。
30歳片山の雄叫び。 これは出資者の所在が不明の為CD化は無理と思われる。
当店に最後のアナログが5枚あります。2500円也。


(クリックで拡大)

 

■ vol 019 THERMAL (11.29.2005)

リーダー名 : 国安良夫=Kuniyasu Yoshio
メンバー :  国安良夫ts,as,ss 国安くるみp 早川岳晴b 藤井信雄ds
タイトル: THERMAL
録音年月日:  1982年9月

収録曲: A1 SAITO A2 Up against B1 Gunga din B2 My one and only love Little Zazie

REVIEW: CD化されてない物ばかり採り上げていて何だか申し訳ない。
まるでガキ大将が人の持ってない物を見せびらかして自慢している風なところもあるな。
でも採り上げないで風化させるには惜しい作品ばかりなのだ。
その辺は大目に見てください。

さて今回採り上げるのは前回「スマイル」のサックス奏者である国安のファースト&ラストリーダー作。
個人的なレーベル=
TAKEYAが制作したもので、せいぜい500枚くらいのプレスだろう。
国安の自作曲中最も有名な「西都」からはじまる。
国安はソプラノでその宮崎県にある風光明媚な風景を描写する。ほのぼのとしたフォーク・ジャズといった雰囲気。なぜかロイドの音楽との近似性を感じる。
私にとっては、申し訳ないがこの一曲に尽きます。

国安と清水くるみ(=当時は国安の妻だった)は、今は無き中野にあったライヴハウス「いもはうす」で早川岳晴から紹介された。
確かペーター・ブロッマンのライヴで多分83年頃だと思う。腰の低い人だったと記憶している。

久し振りに彼の面影を思い出しました。今も御存命なら私と同じ55歳。
きっと味のあるテナーになっていたことでしょう。


左から、藤井信雄 早川岳晴 国安くるみ 国安良夫

 

■ vol 018 SMILE (11.16.2005)

リーダー名 : 森山威男=Moriyama Takeo
メンバー :  森山威男ds, 国安良夫ss,ts, 板橋文夫p,
望月英明b ゲスト=松風鉱一as,ts,fl
タイトル: SMILE
録音年月日:  1980年11月10,11,12日

収録曲: A1. エクスチェンジ A2. ワタラセ B1. ステップ 
B2. スマイル B3. グッドバイ

REVIEW: いきなり二本のテナーが咆哮し板橋、森山が雄叫びを上げる「エクスチェンジ」。
怒涛の幕開けである。飛び散る汗、筋骨逞しい男たちの熱気でリングも霞んで見える。
続く名曲「ワタラセ」は一転、素朴、郷愁、哀切。森山ワールド全開。

前作のテナー奏者、小田切の後にレギュラー・メンバーとなった国安良夫が参加している。
彼もまた小田切同様若くして世を去ったミュージシャン。
この後82年に
TAKEYAレーベルから初リーダー作「THERMAL」を発売するが、87年11月、自動車事故により他界する。37歳であった。

二人の若きテナーマンを失うこととなる森山カルテット。
最後に演奏される板橋の名曲「グッドバイ」は、あたかも二人への鎮魂歌のように聴こえる。
これは森山威男の名作であると同時に板橋文夫の名曲集でもある。

CD化を切望する。


左から グズラ、森山、(故)国安、板橋

(故)国安

 

 

■ vol 017 hush-a-bye (11.03.2005)

リーダー名 : 森山威男=Moriyama Takeo
メンバー :  森山威男ds, 小田切一巳ts,ss, 板橋文夫p, 望月英明b, ゲスト=向井滋春tb
タイトル: hush-a-bye
録音年月日:  1978年2月27日

収録曲: A1. Sunrise A2. Hush-a-bye B1. North wind B2. Lover man B3. Snow tiger

REVIEW: 75年を最後に山下洋輔トリオを辞した森山は自己のバンド結成に着手する。
76年にはコルトレーン4を範とするカルテットが組織されていた。
77年にその最初の成果として「フラッシュ・アップ」がライヴ録音される。音楽監督兼ピアニストの席には板橋文夫がいた。 78年にスタジオ録音された「ハッシャバイ」にはそれまでの高橋知己に替わり小田切がテナーの席にいる。

82年に僅か31歳で亡くなってしまう小田切の残した貴重な記録が聴ける。表題曲を聴くがよい。
ウォーン・マーシュのようなかすれた音色で哀愁と情熱を吹く。こんなテナーはめったにいないと思う。
「サンライズ」は現在も森山バンドの十八番として頻繁に演奏される板橋作の名曲。
全員の燃えるような演奏が魂を揺さぶる。
見事に何も変わっちゃいない板橋、グズラ、そして森山威男。凄い。尊敬する。


変化することがジャズの命題だとは思わない。信念だと思う。
自らの信念をもち続け、人生に力と勇気を与えてくれるジャズを私は大切にしたい。


故 小田切一巳

森山威男


 

■ vol 016(10.27.2005)

リーダー名 : 板橋文夫(Itabashi Fumio)
メンバー :  板橋文夫p、岡田勉b、楠本卓司ds
タイトル: 濤=TOH
録音年月日:  1976年3月1日

収録曲: A1. Alligator Dance A2. Good-Bye B1. TOH

REVIEW: 前回採り上げた峰厚介の「ダグリ」にも参加していたピアニスト、板橋文夫のデビュー作。
国立音大卒業と同時に渡辺貞夫のバンドに抜擢され、1972年の名作「
Sadao Watanabe」の吹き込みに参加したのは22歳の時。日野皓正渡米直前の1975年に録音された2枚、「スピーク・トゥ・ロンリネス」、「ライヴ・イン・コンサート」にも参加し、若くして脚光を浴びる。

満を持してのデビュー・リーダー作である。一度聞けば虜になるい哀愁のメロディーとマッコイ・タイナー張りの強靭なアタック。
今も愛奏する「アリゲーター・ダンス」、「グッドバイ」30年前から何も変わっちゃいない怒涛のスタイル。
改めて、板橋男一匹ピアノ大将に惚れ直す。

ある欧州のピアニストと話をしていて気付いたことがある。
ここ10年ほどのアメリカ音楽や映画のつまらなさ。日本人はアメリカでの成功を今でも夢見ているようだ。上原ひろみ、山中千尋。でもあんな文化度の低いアメリカで評価される事がそんなに名誉な事なのか。欧州での評価なら解かる。欧州には個性を重んじる伝統と文化がいまも息づいているから。

板橋は幸いにもアメリカを向いていない。日本やアジアに深い眼差しを注ぐ。
欧州に輸出したいピアニストの一番手だ。


録音時の三人。若い!

 

■ vol 015 DAGURI (09.29.2005)

リーダー名 : 峰厚介 (mine kohsuke)
メンバー :  峰厚介ss,ts 宮田英夫ts 板橋文夫p 望月英明b 村上寛ds
タイトル: DAGURI 
録音年月日:  1973年6月21,25日

収録曲: A1. Thirsty A2. Self-contradiction A3.DAGURI B1. Expectation B2. Spindrift

REVIEW: 菊地の次はどのアルバムを取り上げるべきか随分迷った。
菊地のアルバムをあと2,3枚取り上げようとも考えたし、菊地と同時代進行で70年代を盛り上げた日野皓正も魅力的な人選だ。峰厚介にしたのは久し振りに聴いた「POO-SUN」があまりにも魅力的だったことと、その成功の一端を峰厚介が握っていた事が痛いほど解かったからだ。

70年代から80年代前半まで日野皓正や菊地雅章と共演、あるいは本田竹廣と結成したネイテブサンとしてスター街道を邁進した峰厚介であったが、90年辺りから様子が違う。
渋谷オーケストラへの参加。今も続く不動のクインテット結成。虚飾を捨てジャズに埋没する僧侶のような峰が見えてくる。

さてこのアルバム。峰にとって4枚目のリーダー作。70年に2枚、72年に1枚、そして73年のこのアルバムと矢継ぎ早に録音している。この当時の峰がいかに日の出の勢いであったことがうかがい知れる。 編成がユニークだ。サックスが2本と3リズム。ありそうでなかなか無い編成だ。ただ峰がテナーを吹く曲はA2のみで後は当時多用したソプラノに徹している。
オープニングの広大なアフリカを想わせる打楽器、重厚なベース、雄大で野性的なソプラノ。
2曲目では戦いの後の静寂のような染み入るバラードが感動を呼ぶ。

アフリカ〜モード〜マッコイ・タイナー。当時のエネルギッシュなジャズの代名詞が全てぶち込まれている。全速力で駆け上る。闘う。平和への願い。板橋文夫がいい味出している。
やはり名盤だと再認識。

 

 

■ vol 014 POO-SUN (08.29.2005)

リーダー名 : 菊地雅章=kikuchi masabumi
メンバー :  菊地雅章p,e-p 峰厚介ss,as 市川秀男e-p,org 池田芳夫b 日野元彦ds 村上寛ds 岸田恵二per
タイトル: POO-SUN 
録音年月日:  1970年8月22日、9月7日、9月9日

収録曲: A1 dancing mist A2 thanatos B1 E.J. B2 yellow carcass in the blue B3 puzzle ring B4 my companion

REVIEW: 35年前の録音だなんて信じられない。
この当時の菊地がいかに新進気鋭の音楽家であったか思い知らされる傑作。

これに先立つ前年8月にはマイルスが「ビッチェズ・ブリュー」を録音、ジャズは未知の領域へと船出する。勿論、金のかけ方が違うからマイルス作品に比べれば規模が小さいと感じられるだろう。エレクトリックの熟練度にも不満が残る。しかしマイルスのコンセプトを早くも消化吸収した作品が、はるか東洋の島国から登場したのには内心マイルスも驚いたのではないだろうか。例えが悪いかもしれないがウェザーリポートがデビュー作を録音したのが71年2月。
驚異的な菊地の先見の明。

2台のキーボード、2台のドラム、それにパーカッション、ソプラノ、ベース。マイルス・サウンドを継承する奇異な楽器編成。
菊地の代表曲「ダンシング・ミスト」「イエロー・カーカス・イン・ザ・ブルー」の初演もこれ。

兎に角35年前の作品とは信じられない高密度。十数年前に一度
CD化されたがすぐに廃盤となった。これだけの名作、何時でも入手可能な状態にすべきだ。

マイルスに勝るとも劣らない才能の持ち主の菊地が今の環境に甘んじているジャズの状況はおかしい、ふざけている。なんとかしたい。

1970年、このアルバム録音時の菊地と峰。
ジャズが知性と不良の紙一重だった頃。

 


 

■ vol 013 Miu (08.10.2005)

リーダー名 : 原田依幸 (Harada Yoriyuki)
メンバー :  原田依幸p,cl,bcl,ss 初山博vib, 山内テツeb, 望月英明b, 翠川敬基cel古澤良治郎ds, トニー木庭ds, 豊住芳三郎ds  
タイトル: Miu 
録音年月日:  1981年8月20日、10月6日

収録曲: A1. メタ A2. 変態七拍子 A3. ゼイル・ビー・カムバック 
B1. ワナオキ B2. ミュー B3.Y’Sマーチ

REVIEW: 原田依幸はピアニストとして知られているが、国立音大のクラリネット科を首席で卒業した事でも解かるようにクラリネットの名手でもある。ピアノばかりかクラリネットやバスクラを駆使して彼の奇才ぶりが堪能できる傑作である。

全6曲の内3曲ずつを新鮮組と変態組で分け合っている。原田と初山を固定し、リズムに望月、豊住を配したのが新鮮組、山内と木庭そして古澤が加わった方を変態組と呼んだ。
その人選からも解かると思うが、新鮮組はフリー色が濃く、変態組はロック色が強い。
そして原田が生活向上委員会の中心メンバーだった事を思い出させ、強烈に変態ぶりを発散させる変態組の3曲が圧倒的に面白い。もし全曲を変態組で通せば間違いなく大傑作となったであろう。
セシル・テイラーばりのピアノと硬質なヴァイブ、ブンブン唸るベース、ハードなドラムの「メタ」。バスクラの咆哮する「変態七拍子」凄い。
沖縄ビートの「ワナオキ」に思わず踊りだす。


 

 

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