「バルトのテクスト性、あるいは間/換テクスト性については「トラック」と言い換えが可能だと思います。このアルバムでは、同じ時間に演奏されたトラックが並んでいる状態が半分しかありません。ジャズの演奏者は何らかのテクストを常に音読していると考える事が出来る訳ですが、そのテクストが何なのか?というのは、ジャズの演奏を聴いている限りは解らない訳です。
ワタシが思う間テクスト性というのは、こうした「読めなくさせてしまう属性」を振り払い、テクストをいきなり新鮮に「読める様にする」といった意味で、既にいろいろな人々がトライしています(ゴダールの「パッション」や、「村上春樹の新訳」といった試みも、部分的に含まれます)が、ジャズ界というのは、古典が今でも読める人々と、古典をそのまま読みたい人の集団なので、あまり間テクスト性が重んじられないのです。
各々のトラックは、あるべき場所に置く限り、どんなに若い演奏者が演奏しようと古典的な価値を持ってしまい、それこそ超越的言語の持つ権力の支配下に置かれるので、例えば類家君のソロは、1音たりとも「その場所」には置かれていません。それによって物凄いフレッシュさ。生まれて初めてトランペットの音を聴いた様な気分に成る様にしました。」
とある掲示板に書き込まれた菊地さんのこのCDのコメントです。
最初聞いたしたところ、ストレートな60年代マイルス、ショーター、ヘンダーソン等のスタイルで録音してコンピュータ処理をしたように聞こえたのですがよく聞くとこのコメントが解ります。
実にかっこいいクールな作品です。
菊地さんネタもう一つ
FRANZ KAFKA‘S AMERIKA
DCPRG最後のアルバムは今までで一番エレクトリックマイルスに近い演奏。いくつかの細かいフレーズを元にスタジオで行われた3日間のセッションをコンピュータで編集した作品。このアルバム発売と同時に行われた最後のツアーもすばらしかったです。