2008年リリースされた板橋文夫関連音源は今作を含め2枚あった。もう1枚のほう、峰厚介リーダー名義でのカルテット(=フォー・サウンズ)による「プレイズ・スタンダード」は板橋ファンにとってはどうにも煮え切れない、率直に言えば、硬直したジャズ像(ジャズ=大人の音楽、みたいな思考停止)をなぞっている感が強い作品で、いまひとつ、いやふたつみっつぐらいグッとこないものであった。おそらく峰のファンの多くにも同じように受け止められたのではないだろうか。なにかいきなり批判めいてしまったが、現在の峰や板橋のライヴでの、彼らの音楽のキレ・創造性・深さに接している身とすれば、今の彼らのすごさを捉えるにはあまりにずれたアルバムのコンセプトとプロデュースには到底納得できなかった。
では、板橋文夫自身によるプロデュースで制作され、彼のレーベルから発売されたこの「WE11」はどうかと言えば、これが想像以上に、現在の板橋のジャズを100%伝える密度の濃い傑作となった。板橋オーケストラ待望の録音という意味だけでなく、2000年代の板橋文夫の歩みが集約されたと言ってもよいほどの音楽的豊潤さと熱がここにはある。
と書きながら、正直に告白すれば、最初このアルバムを聴いたときは自分はそれほどピンとこなかった。11人という大きい編成から放たれる強力な音圧(音のでかさ)が理由だろうか、力技と荒っぽい雰囲気がさきに耳にきてしまい、まあ板橋オケらしくて悪くはないけどなあ・・なんて消極的な感想を抱いた。今思えば、ファンだからこその先入観が耳を曇らせていたのかと思う。しかし時間が経ちふと思い立ってこのアルバムを再び聴いたところ、まったく違う聴こえ方がしてきた。きっかけは3曲目「アジットさん」だろうか?板橋らしいアフリカ音楽から影響を受けたと思しき楽曲。徹頭徹尾を変拍子が貫く。小山彰太と外山明の打楽器部隊の活躍からも分かるように強固なリズムを最重視。そこに林栄一・片山広明をはじめとした個性派フロント陣の濃密な音の色彩が重ねられていく。この曲をちゃんと聴いただけでも、決して力技だけではない、リーダー板橋の構想とアイデアが隅々まで行き渡った優れたラージ・アンサンブルものとしての魅力が、このアルバムの聴きどころだということが理解できる。
切なさ全開の板橋メロディを堪能できる5曲目「サイクリング・ブルース」と9曲目「ムーン・ダイン」は新たな板橋クラシックとして記憶されるであろうし、田村夏樹が大々的にフューチャーされいい味を出す8曲目「ローリング・ストーン」もハイライトのひとつ。ソロはそれほど長尺ではないのだが、曲に合わせてソリストたちは手癖からは離れたすごく選んだ新鮮な音を鳴らしている、という風に感じられるのは、集中できるスタジオ録音の効果だろうか、いやそれだけ板橋ワールドが彼らにとって緊迫感があり刺激的だからなのだろう・・、そんなことを考えて聴いていたら、ふいに最後の「フォー・ユー」での板橋の美しすぎるピアノが飛び込んできて、思わず泣きそうになった。いやもう理屈はいいです、やっぱりいいな!!板橋文夫!
「渡良瀬」などの70年代和ジャズの流れで板橋文夫を再発見した若い音楽ファンには、この作品でぜひいまの板橋(今年還暦)に触れてほしいし、マリア・シュナイダーの洗練も好きだけど、日本人の情念や感傷にもやっぱり気持ちが動くんだよなという人にも、このオーケストラの作品は間違いなく届くはず。言うまでもなく中央線ジャズを愛する人にはど真ん中であろう。いやそれより何より、日本の全国津々浦々で日々繰り広げられる板橋のライヴに一度でも触れ心を打たれた経験を持つあなたにこそ、この作品は聴いてほしい。繰り返すが、この作品には現在の板橋文夫のすべてが詰まっている。
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