国立 NOTRUNKS ミュージックダイニングバー国立 NOTRUNKS ミュージックダイニングバー

REVIEW

片山広明のこと

2018年12月31日月曜日
片山広明のこと

2018年11月13日火曜日。テナー・サックスの片山広明さんが亡くなった。
67歳。長年の重度の飲酒が原因の肝臓癌による死だった。
8月8日に当店=NO TRUNKSにDUBで出演した際に旧知の内科医が客として来ていて、「片山さん具合どうですか?」「良かったら私の病院に来ませんか、診てあげますよ」・・・。
そんな感じで病が発見され、発見されたものの手の施しようがなく3ヶ月後に亡くなった。
本人も死期を悟っていたのだろう。

新星堂がDisk Innと云う名の輸入盤店舗を新規展開したのは1979年、私が29歳の秋だった。吉祥寺に有った、レコード・プラントを買収しDisk Inn NO.2となる。新星堂の一号店だった高円寺南口店がDisk Inn NO.1となり、私が店長に抜擢されたのだ。

それから2年程してだろうか、当時高円寺にあったコジマ録音に勤めていた日永田さんから「今度、どくとる梅津バンドと忌野清志郎との合体バンドが出来るらしい」「村上さん、手伝ってもらえないかな?」そんなわけでデモテープ作りを手伝うのだが。

店の定休日を利用しての録音。会社には内緒でね。その当時、どくとる梅津バンド=後のDUBの事はまだよく知らなかった。生活向上委員会は話題になったしファンだったんだけどね。梅津さんと原田さんと板谷さんが目立っていたよね生向委。
しかし、その日の録音で、片山広明のドデカイ音やコブシに、私はKOされる。「片山広明恐るべし」「この男、追っかける価値あり」
コルトレーンの「ヴィレッジ・ヴァンガード・アゲイン」を聴いて人生決めた私が再度人生のギアチェンジを試みたのが片山広明の音だった。

片山の無伴奏ソロ・アルバム「Equator赤道」を日永田さんと店の従業員だった寺本さんと3人で制作したのはその翌年だったか。
早川岳晴と角田健とのトリオ作「ドライシェリー」は東京ニュージャズ・フェスティヴァルのレーベル、NO TRUNKSからの発売。

東京ニュージャズ・フェスティヴァル(以下TNJF)は当時1980年中頃、日本たばこ産業とピール会社が金に物を言わせて海外から有名ミュージシャンばかり招聘し、金太郎飴のようなフェスが蔓延しているのに不満を募らせたDisk Inn NO.1に集おう不平不満分子が、5万円の持参金と血判状をもってはせ参じたもの。
1985年にスタート、休んだ年もあるけれど1997年まで続いたスポンサーを伴わないマイナーなジャズ・フェスティヴァル。
現在newの付かない有名ジャズフェスが出来たため忘却の彼方なジャズフェス。

1985年の第1回には「どくとる梅津バンド」として。翌年の2回目は「どくとる梅津バンド~改めD.U.B」で。87年の3回目はチャボ=仲井戸麗市を含む「片山広明&早川岳晴スペシャル・プロジェクト」として。88年の4回目は前年とほぼ同じメンバーの「片山広明スーパー5」として。
さすがに出ずっぱりはマズイと我々が思ったか、2回ほどお休みして、最後の2回、94年と97年には「de-ga-show」と「渋さ知らズ」のかけもちで見事に復活!
想えば片山さんのための東京ニュージャズ・フェスティヴァルだった。

そして「オーマガトキ」。
新星堂のレーベルで、内容が優れているが購買に結び付かない作品を制作、販売するために立ち上げたレーベル。多くはメジャー他社の商品を借り受けて商品化したものが多かった。
当時の大竹社長に私がお願いし「中央線ジャズ・シリーズ」をスタートしたのは1990年の事。林栄一のリーダー作をどこのメジャーも制作する意欲のないことに意を決したのだ。当然2,3作目に片山の作品制作を描いていた。

これが林栄一と片山広明の参加作品。それぞれのリーダー作もあれば双頭リーダー作のde-ga-showが2枚。アケタ作品には林が、板橋作品には片山が、高瀬アキ作品には二人が参加している。

新星堂の経営が悪化しオーマガトキでの中央線ジャズ・シリーズの制作が難しくなった後、その路線を継承してくれたのはTNJFの仲間でもあった脇谷氏が立ち上げたStudio Weeだ。
林の作品も多く作っているがここでは片山作品を挙げておく。

晩年の作品は片山もメンバーだった「渋さ知らズ」を応援し続ける地底レコードが、片山のリーダー作もポツリポツリと発売している。愛すべき人柄の吉田社長、ありがとう。
ホームページの作品一覧を貼っておく。

地底レコードレコードのCD一覧
http://chitei-records.jp/blog/article/chiteicd.html

亡くなる日の前日11月12日には当店で明田川さんとのDUOが決まっていた。
奥さんの妙子さんから「片山の体調が凄く悪いので出演を辞退した」と片山の伝言を電話していただいたのは10日のことだった。
40年近くの付き合いだった。レコーディングでもライヴでもインタビューでも、もちろん遊びでも、片山の傍らには酒があった。酒が無類に好きだったが、酒の力を借りないとモノが言えない、吹けないそんなシャイな片山だからしょうがない。
忌野清志郎と同い年。無茶呑みしない清志郎が先に逝き、呑んでは病院に通ってた片山が67歳まで生きた。
冷たい言い方だが「片山さん頑張ったよ」。あと10年もしたら俺もソッチに行くから、またタップリ呑もうな。

平成30年12月31日 村上 寛

レビュー一覧へ戻る